|
昭和16(1941)年、東京の新宿で生まれた私は幼い頃から鉄道マニアでした。機関車や電車のファンは、好きな列車が走る線区と、その車両基地がどこにあるかに関心をもつのが普通です。小学生のころは、対象範囲が首都圏に限られましたが、中学生になると日本全国へ拡大して、高校時代には国鉄の主要幹線の駅名くらいは暗記していました。大学の頃は高度成長の幕開けで、それまで高級品だったカメラとフィルムが一般に普及し、学生でも鉄道写真が撮れるようになっていました。そんな二十代の前半は蒸気機関車を追いかけ、北海道から九州まで全国を駆け回りました。
(写真:D51重連貨物列車。東北本線 野辺地~千曳 1965)
二十代後半になると、蒸気機関車は減る一方で、数往復の列車を効率よく撮るために、どちら側でも煙を吐く汽車を写せる「峠」を訪ねるケースがふえてゆきました。幹線での撮影は頻繁にくる列車だけが対照でしたが、ローカル線では列車待ちの時間が長くなって、周辺地形の観察をはじめ、地名の語源を考える余裕が生まれました。
このころから激減した蒸気列車の撮影よりも、地名、とくに峠名の語源探索に魅力を感じて、峠あるきを主体にするハイキングクラブに入り、関東・中部地方の峠を観察して歩きました。ただ、これだけで、「峠」全体の把握は難しいので、全国の5万分の1地形図を集めて統計手法をつかう、語源と命名年代の探索に手を染めたのです。ところが、三十~四十代は高度成長真っ盛りの時代で仕事が忙しく、地図を集めるだけで七年、様々な地名を取りだすのに十年、ある程度満足のゆく資料ができたころは、五十に手のとどく歳になっていました。当時はバブル崩壊の時代で、世情と仕事にも疑問と限界を感じていましたので、思い切って、地名研究の比率を高めて本格的に取り組むことにしました。
昔から言われてきたように、地名は地形表現を主体につけられています。自然地名の『山、峠、川、岬、島』などと、これに対応する『字名』を地名群ごとに集計して対照すると、字名は二文字の漢字をあてた四音の名が多く、自然地名はこれより音数が多くなる基本的な差異がはっきり浮上します。言葉と地名が、単純なものから複雑な形に進化したと仮定して、それが現代に残されていたなら、字名より自然地名の方が新しいことになります。なかでも、『峠』の誕生時期がもっとも新しく、文献に登場するのが平安時代後期であった史実は立証されています。これが、わが国の地名群の中で、峠にもっとも複雑多彩な名前が使用された理由です。地名研究の対象は『字名』におくのが普通ですが、四音地名の表現は抽象的すぎて、ここから地名の命名法則を探り出すのは、過去の研究例をみても不可能と考えた方がよさそうです。そこで、動植物や宗教、事物一般の名を多用した『峠名』が注目されるわけです。本シリーズの最初にこれを取り上げたのも、若いときから峠に親しみを感じていただけでなく、地名とものの名前を対比して、日本語の語源を探求できるのはこの地名群以外にない、と考えるからです。
|